タイトルページを刷新した。
以前のものはその場しのぎで適当に作った。
早いこと変更しようとずっと思っていたが、返事やら何やらで延びてしまい、やっと先日手を付けることができた。
まだM女性のイメージイラストがないので未完成なのだが、いかがなものだろうか?
思うに、SM調教師として名を馳せている人々は、皆、アーティスティックな一面を持っているような気がする。
何事もどんぶり勘定の調教師が言葉だけで女性をイカせる場面など、俺には想像できない。
M女性は特別な嗅覚を持っていて、男の感性を事前に推し量り自分のご主人様として従えるか否かの判断材料にしているのではないかと思える。
精神面が技術面以上に重視されているということについては、世のS諸氏にも概ね異論はないだろう。
単なる淫乱とM女性を混同している人がいるが、両者は全くの別物であり、それは技術重視と感性重視の違いという側面も持つ。
よって、感性の無い、あるいは鈍いSM調教師はいずれ壁にぶつかり、やがてはそれゆえに淘汰されていくだろう。
ではなぜ調教師に感性が必要とされるのか?
答えは簡単である。
それはM女性が感性のかたまりのような存在だからだ。
彼女たちは、その感性ゆえに繊細な神経を持っている。
言葉尻ひとつで深く傷つくこともあれば、こちらの何げない仕種で泣く程に感激することもある。
そんな相手の気持ちも理解できずに、「どうしたの?」などと真顔で問うようではSM調教師失格である。
また、彼女たちにその趣味を問えば読書だとか音楽、それに料理や絵画など、いずれも芸術的文化的な答えが返ってくる場合がとても多い。
M女性の感性はSM的関係のみならず、日常生活にも彩りを与えている。
例えばM女性の家に泊まりに行った時、塵ひとつない整頓された部屋で歓迎されるのは気持ちのいいものだし、トイレに入ればその片隅にさりげなく花が活けてあったりする。
料理の盛り付けひとつにしても明らかに違う。
だからより美味そうに見え、朝食でさえも「朝からこんな豪華なものを食べていいのだろうか?」と、何度も唸らされたことがある。
そんなM女性の感性を十分に理解してこそ最高の主従関係が生まれるものと、俺は固く信じている。
それを見抜くだけの目を持ち合わせていない調教師はいつまでも二流だし、また、そういう調教師に身を預けるM女性は不幸であり、本当のSMの素晴らしさを知ることもないだろう。
よくよく話を聞いてみると、SMを体験したときの魂が打ち震えるような感覚と、単なるカルチャーショックとを混同しているM女性はあまりに多い。
ノーパンで街中を歩かされてあそこを濡らすのも確かにSM調教だが、自分の感性を理解してくれるご主人様と腕を組んで歩きながら幸せを感じるのも立派な調教なのだ。
真性のM女性は別にして、感性に裏付けされた技術こそが、皆から俺に求められているものだと解釈している。
M女性から調教依頼のメールを貰ったとき、なぜ俺を選んだのか?と訊くと、
「雑記とかコラムを読んであなた様に調教してもらいたいと感じました」
という返事がよく返ってくる。
これは、彼女たちが俺を感性で選んだということに他ならない。
更に言えば、俺の感性と彼女たちの感性が類似しているとも表現できる。
そういう前提があるからか、このサイトを通じて数々のM女性と実際に会ってきたが、皆とはとても有意義な時間を過ごすことができたし、プレイメイト以上のものをはっきりと感じることができた。
みんな再度会いたいと言ってくれるので、そのような感覚は俺だけではないはず、と勝手に思っている。
また、とても他のサイトでは調教依頼をしそうにない女性が俺に興味を持ってくれていることについて心から感謝せずにはいられない。
貴女の感性により俺が更に高まると同時に、俺の感性でもって貴女にも更に磨きがかかる、そんな関係でありたいと願う。
shadow