M女は二度処女を失う。
一度目は最初のセックス。
二度目は最初のSM調教。
そんな考えを持つ俺にとって、SM調教未経験のM女性はまさに処女そのものだ。
よって、幸運にもそんな処女のM女性を調教する機会を授かったなら、我々男性は(内心において)最大限の感謝と敬意を払わねばならない。
すなわち、大切にしてやるということ。
これは必ずしもプレイ上で大切にしてやれと言っているわけではない。
一般に言うところの処女を捧げられたとき、俺たち男性は少なからず責任という言葉を意識する。
M女の処女を捧げられるときも、それと同等の、あるいはそれ以上の責任が発生すると考えるべきである。
男も女も、案外このSM的処女については認識していない場合が多いようだ。
これをお読みのSM調教処女のM女へ。
あなたは大切なものを今日まで守り続けてきた。
それは紛れもない誇りであって、恥でもなければ汚点でもない。
処女がセックスに興味深々であるように、また、M女性がSMについて興味を抱くのは当然のこと。
それについて悩む必要など全くないと断言する。
俺に言わせれば、むしろ悩まない方がどうかしている。
SM調教未体験の女性がSMについてあれこれ悩むとき、俺はそこに思春期の少女の姿を見る。
思い悩んでいる女性にはいささか不適切な言葉かもしれないが、「可愛らしい」とさえ感じる。
年齢や社会的地位、結婚していようが離婚していようが、そんなことは全く関係ない。
彼女たちは例外なく可憐であり可愛らしい。
あなたは一度目に処女を失ったとき、早く体験してみたいとあれこれ思い悩んでいた時期を無駄だったと思うだろうか?
今思い返しても、決してそうではなかったはずだ。
それは二度目の処女についても同様のことが言える。
例え思い悩んでいようが、あなたは今、光り輝く時間の中にいる。
同様にしてS男性も童貞を二度失う。
ただしセックスと違って、妖艶なマゾお姉さんにSMの手ほどきをあれこれ教わるといったようなシチュエーションを期待してはならない。
M女性のほとんどはそんなことに興味を抱かない。
あなた方は自分自身で脱皮していかなければならないのだ。
それにはSMの能力のみならず、人間としての資質も問われることになるだろう。
一先輩として健闘を祈る。
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