鞭が「責め」であるのに対して、スパンキングは「お仕置き」という言葉こそ良く似合う。
やり方は至極簡単で、手のひらやパドル等で尻を打つというただそれだけのこと。
要するに、スパンキングとは「お尻ペンペン」である。
四つん這い、お尻を突き出して立たせる、膝の上に尻を乗せる等、好きな体勢で行えばよい。
膝の上に尻を乗せた場合、叩く度に女性の身体が反応してペニスを微妙に擦るので男性側も気持ちがいい。
着衣については少しばかり注意が必要だ。
スパンキングを好む女性は、しばしば幼児期に親から同種の体罰を受けている場合が多い。
よって、裸にして行うよりも、当時と同じ様に尻が出るように少し下着をずらした状態でのスパンキングが好まれる。
叩く側にしても、このような状態の方が見た目にもエロティックである。
スパンキングはONとOFFを選ばない。
言い換えれば、スパンキングの場合ラフな普段着でも視覚的に違和感がないし、むしろ普段着こそがよく似合うと俺的には思う。
よって、日常生活においても奴隷が何か粗相を犯したら積極的にスパンキングすべきだ。
罪に対しては罰を与える。
これはとても大切なこと。
この原則を無視すれば、いずれ遠からずあなたのご主人様としての威厳と地位は崩壊するだろう。
あれほど強かった日本男児でさえ食卓のおかずが手抜きであるとちゃぶ台をひっくり返すのを忘れてしまったために権威は失墜し、今では粗大ゴミと罵られる始末だ。
崩壊とは、得てしてほんの些細な妥協から始まる。
主としての威厳は強制的に押しつけるものではなく相手に自発的に感じさせるものであり、同時に主はその威厳を維持しながら守る必要がある。
全てをがちがちに厳格にしろとは言わない。
しかし、こだわりがある部分については決して妥協したり、曲げてはならない。
それを破った場合には厳格に言葉で注意するか、あるいは、スパンキング等の体罰によって理解させる必要がある。
M女にも一点知っておいてもらいたい。
スパンキングとは叩く側も痛いのだ。
例え体罰とはいえそこには愛情があるし、また、なければならない。
よって、体罰のために与えるスパンキングであれば、主は決してパドルなどを代わりに用いてはならない。
俺に言わせれば、それば明らかに手抜きである。
せめて女性の痛みの半分でも感じてやるのが主としての努めだ。
そうしてこそパートナーも健やかに成長すると俺は信じる。
もちろん、スパンキングは体罰のためだけのものではない。
プレイとしてのスパンキングも立派に存在する。
スパキングを好むのは圧倒的に女性であり、この場合体罰とは対極的にご褒美となるのはSM世界の面白いところ。
俺個人のルールとして、ご褒美のためのスパンキングであればパドルの使用は可としている。
これを他人に押し付ける気は毛頭ないが、みなさんも経験を重ねていけばそこには自然にルール(ポリシー)が生まれてくるだろう。 これらルールの集まりが個々のスタイルを形成することになるので、女性を自由にできるという特権を与えられている対価として自らのルールには厳格にならねばならない。
スパンキングはセックスにも活用できる。
女性がスパンキング好きならば、普段仕えてくれているお礼として積極的に取り入れてやろう。
バックでのスパンキングなど超定番だ。
また、この技は初回のベットインにおいて相手のM性を推し量る上でも極めて有効である。
絶頂のタイミングに合わせて激しく叩いてやれば、女性はより深く達する。
同時に片方の手で髪の毛を掴んで引っ張る技も大いに推奨する。
鞭打ちの前戯としてもスパンキングは有効である。
スパンキングにより神経伝達物質の放出を促進してやれば一段高いレベルの鞭打ちが可能になる。
ただし、鞭打ちの最中の女性の身体は神経伝達物質により一種の麻痺状態にあるので、女性が悦んでいるからといって決して調子に乗ってやり過ぎないように。
一時の快楽と引き替えにパートナーの身体に傷を残してしまうのではあまりに代償が大き過ぎる。
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