先日、あるM女から面白い意見を聞いた。

例えば責める側としては毎回毎回微妙にパターンを変えてみたり、あるいは根本的に別のパターンにしたりと、これはこれで結構内容に気を使っている一面もある。

今日はホテルに入る前に野外露出をさせてみようか...

今日は縛る前に奉仕をさせてみようか...

等々。

毎回毎回ワンパターンというのはマンネリの原因になると感じている部分がある。

ある日、お互いの関係を更に充実したものにしようとあれこれ話し合っていた時に彼女がぽつりと言った。

「私、パターンが決まっていると安心できるから好きです」と。

「そんなもんか...」

俺は直ぐには納得できなかった。

会う前から顛末の知れているプレイなどM女にとって新鮮味がないのではないか?

ワンパーンなプレイを続ける主がいつまでも魅力的なのか?

それが俺の正直な気持ちだ。

その時、俺たちは食事中だったので、ゆっくりと話し合う時間があった。

彼女はピロシキを二つ注文し、俺はもう一本ワインを追加した。

それから二時間程話をしただろうか。

店を出る頃には俺も彼女の心境がおおむね理解できた。

要するにこうだ。

例えば渥美清主演の「男はつらいよ」がある。

低迷している邦画界にあっては幅広い支持を受けているドル箱シリーズだった。

ストーリーと言えば毎回ワンパターンで、寅さんがひょっこりドサ回りから帰るとそこで待ち構えていたようにマドンナと出会い、すったもんだの挙げ句振られるとまた旅に出る。

本編を観る前からその顛末は知れているのだが、そんな寅さん映画を人々は愛してやまない。

日々オンエアされているドラマや時代劇もしかりだ。

人はあらすじが読めるにもかかわらず見入ってしまう。

そして、彼女はこう言ったのだ。

「そこにはワンパターンの安心感があるんですよ」

逆に言うと、そのワンパターンから外れるといけないそうだ。

最後に振られて旅に出るからこそ寅さんは寅さんたりえる。

だから、俺とのプレイがワンパターンであっても全然構わないし、内容が事前に読めるからこそむしろ楽しみであるとも言った。

この理論は俺の発想を根本から覆すものだ。

「あれこれプレイを変えるのは安定期に入っていない証拠であり、主従関係の未熟さゆえに生じる現象じゃないでしょうか?」

「黎明期」と「安定期」のいずれが魅力的なのかという問題は別にして、主従関係において安心感を求めるM女性にはワンパターンも歓迎すべきであるということを教えられた。

しかしながら最後に、

「いくらワンパターンが安心できると言ったところで、それ以前に演じる役者さんに魅力がなければだめですけどね」

とも付け足した。

これは俺のことを褒めているのだろうか?

一瞬尋ねそうになったが、あまりにも間の抜けた質問だと気付き、すぐ喉の奥に引っ込めた。

更にワンパターンドラマの代表とも言える水戸黄門についての彼女の興味深い話を付け足そう。

水戸黄門のクライマックスは説明するまでもなく、助さんや角さんが悪党たちを叩きのめした後に懐から印籠を取り出し、「皆の者、ひかえおろー」という例のシーンである。

視聴者はこの瞬間に得もいわれぬ快感を覚えるのである。

そこに行き着くまでのストーリーはあくまでオマケであり、特にその内容は問わない。

ただ悪代官さえいればそれで事足りる。

視聴者はあのシーンを楽しむためにそれまでの数十分を投資しているのだ。

曲を聴く時もそうだ。

好きなワンフレーズでグッと盛り上がりたいから、冒頭からちゃんと聴く。

印籠のシーンだけ見ても面白くも何ともないのと同様、サビの部分だけ聴いても決して心は動かない。

SMもこれと同じだと彼女は言う。

彼女にとってのクライマックスとは俺の精液を口中で受け止めることであり、その瞬間に気を失いそうなほどの快感を得るためにそれまでのプレイが存在する。

「だから、あまり内容に気を使って頂かなくても結構ですよ。」

彼女は笑顔でそう言った。

shadow

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