理想のSとMが出会える確率は一体どれくらいのものか?
年末ジャンボの3億円とまではいかなくても、おそらくはかなり低い数字だろう。
既に主従関係を結んでいるパートナー同士でさえ、どちらかが妥協している場合が多いのではないかと察する。
あるいは両者が妥協しているということもあるだろう。
その根底には、やはりパートナー探しの難しさというものがある。
別れてしまえば、次にはなかなか見つからないかもしれない。
だから例え全てに満足してはいなくてもパートナーと別れることに躊躇する。
一人になれば肌も寂しくなる。
いつかは必ず理想のご主人様に巡り会える、そんな思いよりも否定的な感情がついつい先立ち、そのままずるずるといってしまう。
恋人を探す基準なら、ルックスが好み、財力がある、趣味が同じ...等々、客観的に判断しやすい場合も多いが、これがSMのパートナー選びとなるとそうはいかない。
多くの場合、その内面が重視される。
ゆえに街を歩いていて、
「ああ、あの人なんか彼氏にいいかなあ」
と感じることはあっても、
「ああ、あの人なんかご主人様にいいかなあ」
とはなかなかいかないだろう。
おまけに、SMの世界に興味があることについて余程親しくなければ他人には話さないので、SとMが身近にいてもお互いにすれ違っているかもしれない。
よって、理想のパートナーに巡り会えた二人は、もうそれだけで与えられた一生分の幸せ全てを使い果たしたようなものだ。
SMプレイがしたいからその人が必要なのか?
その人がいるからSMプレイがしたいのか?
これは重要な問題だ。
妥協が生じるのは言うまでもなく前者であり、今現在において出会いの主流となっているネットやSNSを通じてのパートナー募集は全てこれに当てはまる。
これに対して付き合った彼氏がたまたまSMに興味のある人で、気が付くと自分もハマっていた。
これが後者だ。
一般の付き合いならば、他により理想の男性が現れれば明日にでも乗り換えることもできるだろうが、SM的主従関係となるとそうも簡単にいかない。
例え全てに満足していなくても、情を感じているだろうし、既に心の支えにもなっていることだろう。
その多くはご主人様に捨てられるまで健気に仕えてしまうのだ。
そこがM女のM女たる所以であり、愛すべきところでもあるが、もう少しM女であるがゆえの権利について考えてみてもいいのではないか?
こんなことを書くと世のS諸氏から馬鹿野郎の声も聞こえてきそうだが、更に続ける。
例えば...最近はネットの普及によりマニアックな世界への扉がごく普通の家庭におけるお茶の間にぽっかりと口を開けている。
これはSMの世界に興味を持つ者たちにとって測り知れない恩恵を受けている。
今こうして俺の考えに貴女が触れるのもネットのお陰だ。
パートナー探しにしても、以前に比べれば格段に恵まれた環境にある。
そんな中にあって皆には選ぶ権利というものを再認識してもらいたい。
そして、自らの幸せのためにその権利を最大限に行使してもらいたい。
それも時間をかけてゆっくりと、だ。
M女というものは一旦ひっついてしまえば、そうそう自分から離れられるものではないのだ。
決して安売りもしてほしくない。
M女から不幸な境遇にいると聞かされる時、例えそれが見ず知らずの女であっても心が痛む。
何故にM性という素晴らしい資質を生まれ持った女性が不幸にならなければいけないのか?
街では若い女性が煙草を吸いながら厚底サンダルで闊歩し、その会話に耳を傾ければとても女性の言葉とは思えない昨今において、大和撫子という言葉が影を潜めて久しい。
俺はあなた方こそが絶滅の危機から逃れた大和撫子という素晴らしい種の数少ない生き残りという気がしてならない。
ちょっとばかり胸が大きいから、ちょっとばかりスタイルがいいからといって、多くの男性からチヤホヤされている女性は多いが、あなた方の魅力に比べれば月とスッポン以上である。
一人の例外もなく、どうか皆にM女としての幸せが訪れますように。
shadow