俺が理想の息子のごとく日々甲斐甲斐しく介護しているかといえば、決してそうでもない。

俺は本来戦闘的な性格であり、親父は親父で歳相応に気が短くなっている。

よって、たまに予測不能な理由により突発的に言い合いが始まる。

最近の喧嘩はこうだ...

親父:「明日、町内会で瓶の回収があるから、一升瓶に残ってる酒を容器に移しといた方がええやろ」

俺:「ん?ラベルの付いた一升瓶から注ぐのがええんや。容器に移したらおもろないわ。そんなことしたら味も半減や」

と、この会話をきっかけに酒を容器を移す移さないの喧嘩が始まった。

親父も折れなかったので、とうとう俺も殿下の宝刀を抜いてしまった。

つまり、

「自分でやるんやったら俺もあえて止めはせん。好きにしたらええ。けど、俺に俺の嫌なことをやらせるな」

これで親父も言い返すことができずに一旦は俺の勝ちになるのだが、宝刀を抜いてしまった後の後味の悪さといったらない。

身体の不自由な者に対して俺はかなり卑怯な言葉を放っているのではないのか?

そう思わなくもない反面、俺が宝刀を抜くのも無理もないとも思う。

今回の場合で言えば、せっかく日本酒を一升瓶で買ったのであれば、最後までそこから注いで飲みたいではないか。

しかもこの一升瓶は正月用に買った高級酒の残りであり、なおさらだ。

それを残り少ないからといってタッパーに注ぐのはあり得ない。

そうだろ?

けれども、いくら正論を吐いたところで後味の悪さは拭えない。

つまりは俺が悪かったのだろう。

それを認識した上で、俺はたまに激突することも必要だと都合良く思っている。

俺が一方的に我慢したのではストレスが溜まるではないか。

まあ、できるだけ宝刀は抜かぬようにしよう。